PRESS RELEASE [その他][情報提供]: 配信 (
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送信者: 高田英一 zbj16747@park.zero.ad.jp
[VENTURE] 2002 年 11 月 設立
一生懸命、高速道路を多国籍企業へと売却するために道筋をつける猪瀬直樹。
言葉では「国民のために戦っている」というが行動は「外資のために日本人を
犠牲にしている」というのが真実であるというのは、情報通なら知っている。
ここまでうそをつらぬきとおす人間はめずらしい。
彼は前にも多くの人に迷惑をかけているが、その中でも
猪瀬の被害にあい、猪瀬を刑法第233条違反だとかんぜんと
たちむかった人がいた。
実際には、彼のような猪瀬の被害者は多くいるはずである。
その本を紹介したい。
「偽りのノンフィクション作家猪瀬直樹の肖像」から
帯文より
拝啓文芸春秋社社長様
猪瀬直樹著「交通事故鑑定人S氏の事件簿」は徹頭徹尾の欠陥ノンフィクションです
ので、リコール広告を出し、読者に代金をお返しして全数回収してください。
猪瀬直樹はS氏の交通事故鑑定5件を、「絶対絶命の裁判をくつがえし、
えん罪を晴らす名探偵がいた」「検察の死角をつく名探偵登場」
と激賞。紹介しているが、調べてみるとどれもこれもそろってうそ、欺瞞、
ごまかしだらけのエセ鑑定である。
そのデタラメさ加減を解説してみせたあとにおいても、猪瀬は「おれの評価は正しい」
と断言している。このように無知蒙昧、恥知らずの男をオピニオンリーダーとしてと
ても大事にする日本マスコミ界の馴れ合い体質を憂える。
私は交通事故の鑑定人である。
交通事故が起こるとそのあとに裁判がおこされる場合がある。
その際に、「事故はいかにしておこったか」を科学的分析にもとづいた説明が必要と
なる。事故がいかにして発生したかを物理的な手法や工学をもちいて
推理して、裁判所や弁護士、警察などに裁判の証拠として
提出するのが仕事である。
(中略)
ところで、平成6年秋、私は「週刊文春」平成6年10月6日号
の「ニュースの考古学」と言う連載コラムで猪瀬直樹が、それより
5年前の平成元年3月の朝日新聞の「ひと」欄に出た私の紹介記事を
根拠にして、突然私を「いかがわしいにおいを感じさせるでたらめな鑑定人」として
誹謗する記事を発見しておどろいた。
「何で 私が!」
猪瀬の記事によると、私が鑑定人として裁判所から多くの鑑定を依頼されているのは
まことに憂うべき事態なのだそうである。
私はそれまでに何の交渉もない、このような人物に突然批判されて、びっくりすると
共に、鑑定人という職業は世間の信用が特に重要な職業であり、
常日頃いいかげんな鑑定人という評判が立つことのないよう、細心の注意を
払いながら仕事をしているつもりなので青ざめる思いがした。
猪瀬直樹のようないわゆる有名人が、私のような無名の一般庶民を
このような形で、まるで、野良犬を蹴飛ばすようにして中傷誹謗することが、
マスコミの世界では許されることなのであろうか。
私が何の罪を犯したというのか。
私は「週刊文春」の編集長に手紙を出して講義したが、それに対して、
「ニュースの考古学」担当者から「林様と猪瀬氏との間で多少の見解の
相違があるのではないかと思われます」といった、軽くあしらう手紙
が送られてきただけだった。
なぜ猪瀬直樹が交通事故の鑑定に関心を持ち、これについて断固とした意見を
言うのか。彼は平成6年7月に「交通事故鑑定人S氏の事件簿」という本を
文芸春秋社から出している。
Sとしりあうことによって事故鑑定に関心を持ち出し、交通事故鑑定のノンフィクシ
ョンを書き始めたらしい。
鑑定人の世界は狭いものだから、当然私はSのことをよく知っている。
既にかなり前から、Sの悪いうわさは私の耳にもはいっていた。
なぜSなんかを主人公にした本を書くのだろうかと不思議に思って
「S氏の事件簿」を買ってきて読んでみると、そこで紹介されているS鑑定
5題のうち、3台はまぎれもなく偽証鑑定である。残り2題は、限りなく黒に
近い灰色鑑定である。
こんなものが、「絶対絶命の裁判をくつがえし、えん罪を晴らす名探偵がいた」
「検察の死角をつく名探偵登場」といった華々しいキャッチコピー
を付けて売られている。
そこで私は、このエセ鑑定礼賛の猪瀬の本のでたらめを具体的に解説する
小冊子「偽証鑑定・・・猪瀬直樹著「交通事故鑑定人S氏の事件簿」
の無知蒙昧を暴く」を書いて、猪瀬本人、文芸春秋社社長、一部の雑誌の編集部、マ
スコミ関係者などに配布した。
このような欠陥本は、欠陥車同様にリコール広告を出して料金を読者に
お返しして回収すべきであるというのが私の主張である。
これは大部分のマスコミから黙殺されたが、評論家の佐高信氏がとりあげてくれて「
筆刀直入」で論評してくれた。また「週刊新潮」がとりあげてくれた。
それまでは「週刊文春」の「ニュースの考古学」担当者を
通じて懐柔しようとしていたらしい(約1年間だまっていた)
猪瀬はことがオープンになると居丈高になり、平成7年10月26日の
「週刊文春」ニュースの考古学でに再度私を誹謗する記事を書いた。
ここで私がS鑑定のデタラメさを細かく解説しているにもかかわらず、
これをなお合理的と認識していることを明らかにしたことになる。
彼はこの段階では、細部の議論がオープンになり一般人の目に触れるとは考えていな
かったようである。
だから相変わらず、私を無能呼ばわりして、強気の誹謗を繰り返している。
その後、月間「宝島30」からコンタクトがあった。
「宝島30」の平成7年11月号で、ついにわれわれの議論は公開状態になった。議
論が表にでるほど、私には都合がいい。
十二月号に猪瀬の反論が掲載された。
相変わらず、同じことを言っており、私の解説をよんでもまったく進歩していないこ
とがわかった。
本書はこの一連のやり取りによって身近に知りえた、ノンフィクション作家・
猪瀬直樹の実体の分析報告書である。
率直にいって、このようにお粗末な人物がマスコミの寵児としてもてはやされ、
テレビや雑誌に出てオピニオンリーダーとして大活躍しているというのは、
おかしなこと、滑稽なことではないかと思う。
むしろ日本のマスコミ界がビョーキに掛かっている証拠なのではないかとさえ
思える。
私は書いた文書(鑑定書)のひとつひとつが、法廷で否定の立場に立つ
弁護人の反対尋問によってたたかれ続けて11年を過ごしてきた人間である。
そういう私から見ると、猪瀬の「有名人の一般庶民たたき」
の売文稼業は実に甘いものに思える。
こんな浅はかな売文業者を許容、寵愛している日本マスコミ界の自浄機能の
欠如にはおおいに腹が立つ。
(中略)しかしこのような偽文化人の横行を許容する日本マスコミ界の馴れ合い体質
は、被害者としての私ひとりの問題ではない。という思いがあることも
確かである。マスコミは世論形成という点で大きな影響力を持っている。
いわば現代の巨大な「陰の権力セクター」である。
それだけにそこには、いわゆるマスコミ文化人の暴走をコントロールする
自制の仕組みがなければならないと考える。
たまたま猪瀬は、それについてはIQゼロに近い1+1=2という理科の世界
の問題につのを出したために、また私という強情な専門家がいたために、
隠蔽しようもなく無知蒙昧の本質を露呈する結果になった。
この書はある意味では時評ながら、傲慢かしている一部マスコミ文化人に
対する「一般庶民からの警告の書」でもある。
最後にこのほとんどビョーキ状態のマスコミ界にあって
唯一「無名一般大衆」の私に発言の機会を与えてくれた宝島社、本書の
出版をこころよくひきうけてくれたチーム社には感謝したい。
平成8年早春
林洋
第一章 猪瀬直樹著「交通事故鑑定人S氏の事件簿のでたらめ」
猪瀬直樹は文芸春秋社から「交通事故鑑定人S氏の事件簿」という単行本を
出している。
(中略)
猪瀬は文中、Sをシャーロックホームズ、自分をパートナーのワトソン博士に
たとえている。Sは今シャーロックホームズにもたとえるべき「天才鑑定人」
だとの、大変なほれこみようである。
ところが、彼が本の表紙に名鑑定のシンボルとして
かかげている「二度ひかれた自転車」の図は、
実は「絶対にS氏の鑑定が間違いであること」の証拠なのである。
この単純かつ滑稽な誤解の証拠・・・恥のシンボルを己の本の帯にかかげながら、彼
は私の懇切丁寧な指摘にもかかわらず、ついに己のミステークを認めることをしなか
った。
これでノンフィクション作家なのである。
私はむしろ、このように軽薄で、傲慢で、弱い人たちに対しして
冷酷で、無知な人間をオピニオンリーダーなどとおだてて大事に扱っている
日本のマスコミに、あなたがたの目は節穴かと文句をいいたい気持ちである。
こんな人間をいい気ではねまわらしておくことは日本人の恥であるとさえ
思う。
Sは日本でただ一人の交通事故鑑定人?
猪瀬直樹はこの本の中で、「S氏の職業は交通事故鑑定人とよばれている。
といってもそういう専門家で生計をたてている人物はほかにはいない。」
と書いている。
しかし実際には日本には10人前後の鑑定人がいる。
つまり猪瀬のいっていることはうそである。
彼はSを通して得た「正しい交通事故鑑定のあり方」
の論理を絶対の真理と固定的に信仰し、その後入ってくる情報はすべて
S学説で判断して、その後の言論活動を行っているようである。
これはちょうど、オウム真理教の思考形態に似ているが、マスコミは
こういう男をノンフィクション作家だといって大事にしていいものなのか
私は頭をかしげたくなる。
またこういうでたらめな人物に連続コラムを書かせている文芸春秋社という
出版社も奇妙な会社である。
(中略)
事故鑑定というものは科学的な問題であり、本質的に1+1=2という単一の結論し
か出ない問題である。そういうことを猪瀬はあまりに無知であるために理解していな
いのである。
率直にいって、「S氏の事件簿」で猪瀬直樹が絶賛してやまないSの鑑定5件のうち、
3件は、完全な偽証鑑定であり、残る2件はそうとも考えられる
仮説のひとつに過ぎない。灰色鑑定である。それも反対の結論である可能性が
きわめて高い。限りなく黒に近い灰色鑑定である。
猪瀬はこれまで文科の問題について勝手な理屈をいい、評論家の佐高信氏や、
立花隆氏、田中康夫氏などに空疎な頭脳を見透かされてたたかれているが、
それでも文科の問題にはこういう意見もある。こういう見方もあると
いうことはある。
しかし理科的な問題には二つのこたえはない。
これから私は、猪瀬が絶賛してやまない5件のS鑑定がエセ鑑定であることを
詳しく解説するが、これを読まれた読者は、必ず、猪瀬のでたらめさに気づくはずで
ある。
なぜならば、それは、いったん説明されるとコロンブスの卵と同じことで、
1+1=2と同程度に簡単にわかってしまう単純明快な問題だからである。
子供にでもわかる事柄なのである。
私は、「宝島30」の平成7年11月号に「猪瀬直樹、偽りのノンフィクション」
という題名で、この5つのエセ鑑定のうちの2件、当て逃げ事故と左折事故1件に関
するS鑑定のデタラメさ加減を解説した。
そうしたら、彼は次の同誌12月号で、「工学鑑定」の周りをジョギングするような、
相変わらず、本質から離れた誹謗を繰り返したうえで、
最後にこう述べていいる。
「ちなみに林氏は、本誌先月号でも、「この件に関してもし、猪瀬が私と論争するつ
もりがあるのならば、私は鑑定人の職を賭してこれに応じよう。
私の論評が間違っていることを彼が立証するのならば、私は身を恥じて、私が生涯の
生きがいにしているこの職をやめることにしよう。
しかし、逆の場合は、猪瀬には当然、作家稼業をやめてもらわなければならない。」
と述べています。こういうはったりまがいの言い方に、僕はある種の偽善性を感じる
のです。(「宝島30」平成7年12月号)
彼はまだ、この問題は文学的、情緒的な言い訳で言い逃れしきれる問題であると思っ
ているらしい。
なお、私は「S氏の事件簿」のリコール回収を繰り返し求めているが、
それは単なる誤植や、単位の誤り、誤記などの部分的な問題ではない。
つまり車でいえば、部品のリコール交換ですむような問題ではないからである。
徹頭徹尾の、頭の先から足の指先まで、うそ、誤報だらけの全体的
欠陥本だからである。
ぜひ、全数回収してほしい。
偽証制の証明
左折巻き込み事故に二度びきはない。
自転車が二度びきされていることを、
猪瀬は、得意になって左折内輪差まきこみ事故の証拠としているが、これは
逆である。左折内輪差まきこみ事故の場合には、左後後輪でひかれるだけであるから、
二度びきにはならない。
(中略)猪瀬は本当は恥のシンボルである「誤解の証拠」
を本の帯に描いて得意になっているのであるから、笑いものである。
(中略)
Sは死角をタンクローリーから切り離して、衝突瞬間の死角位置に静止させることに
より、裁判官をだます方法を考え出したものである。
猪瀬はあまりにも無能であるがために、それが見抜けないだけのことである。
(中略)
何でこれがシャーロックホームズの推理なのか。
S鑑定はまぎれもなく偽証鑑定である。
これを根拠にしてU運転手が正当に裁かれなかったとすると、ひき殺された
Hさんの人権は、一体どういうことになるのか。
Hさんの遺族の悲しみをこのようなうそ八百でたたき伏せていいものなのか。
このような子供だましのデタラメだらけのエセ鑑定にだまされてしまうような(中略)
のも問題だが、大物ノンフィクション作家を自認する人物が、
この程度のトリックがみやぶれず、感動してしまうとは・・・なんとも
お粗末な話である。
猪瀬は佐高信との対談でこういうことを語っている。
「佐高さんには経済小説という存在があるといってるんです。その範囲内で
仕事をなさっているときはいいけど、そこから他の土俵に入ってきた
場合に、非常にあぶないと思います。そこは別の世界があると考えないと、
あまり戦線を拡大して、裏づけの取れない世界にはいっちゃだめなんです。
何を言っているのか。この批判は10倍にして、猪瀬が自分自身に向かって
い言うべきものだろう。
彼ほどに自分の姿が見えない男はめずらしい。そんな自分の姿も見えない男を
オピニオンリーダーとして大事にしている日本のマスコミは一体なんだろう。
奇妙な死角の概念
猪瀬は「死角」軌跡を走ると、むしろ、歩行者と接触したり、自転車を巻き込む可能
性が高くなる、とはどういうことか。
死角がなくなれば、そのような可能性は確実に低下するのではないか。
猪瀬は、どういう頭をしているのであろうか。
自転車はカニじゃない
老人の自転車は、ダンプカーの下につけられたミラーの端をかすめるように
走行していった。
だからダンプの運転手には老人と自転車の姿は見えなかったのだ。
とS鑑定は説明する。
これがS鑑定の真骨頂である。
自転車がダンプカーのミラーの端をかすめるように走行したあと、前面の
右側まで移動してから押し倒されるためには、自転車はこの間、
単にダンプの前を左から右へ前進するだけでなく、ダンプも前進しているのであるか
ら、同時にダンプと同じ速度でカニのようによこばい運動をしなければならない。し
かし、自転車は車輪を前転させて前向きにだけ走るものであるから、そのようなこと
は絶対にできない。これも言われてみれば、子供にでも
わかる理屈である。
あとに詳しく説明するが、Sという人物は、こういう鑑定を繰り返してきた男である。
昭和60年に私が研究所をやめて工学鑑定一筋の業務を始めた時期に
すでにSの黒いうわさは私の耳にもとどいていた。
また、その後、二度、Sの鑑定をつぶしているが、それらの鑑定も
性格的には今回猪瀬が絶賛紹介しているものとまったく同じである。
救いようのない猪瀬直樹のだまされ体質
このエセ鑑定を感動的に報告した後、猪瀬はS鑑定人の「天才性」を
次のようにほめたたえている。
「S氏の事件簿」181ページ
この感動的な話をS氏の教訓でしめてもらおう。
「この事例のキーポイントは、事故現場の図面を精密に描ききった点に
あります。
この手のひらにのるような紙ひとつで、形勢は、ほぼ逆転したといえるでしょう。警
察が推定したトラックの軌跡では、どうやっても走ることができないのです。もっと
も、幽霊が走っていたというのなら、話は別ですが。
どんな事件でも、必ず、精密な図面をえがかなければいけません。
この世界ではまだフリーハンドの見取り図がまかりとおっているんです。
(中略)精密な図面を描くことで隠されている「トリック」が
うかびあがってくるときがあります。
この場合は、まさにそれでした。たったそれだけでした。」
すでに説明したように、警察の推定もSの推定も「私はこう思う」という個人的な所
見にすぎない。ドライバーがどのようなハンドルさばきをしたかで
、それはどのようにでも変わりうることであり、Sがどのように図面を描こうと、そ
れは、「そうも考えられる」という「想像」でしかない。
そこには、何の客観的な裏づけ証拠もないのだから。
合理性を主張するには、たとえば、路上にこの車のものと判断しうる
タイヤ痕が印象されているとうような、客観的な証拠の提示が必要である。
「精密な図面を描けば」などというのは、単純なだましのテクニックである。
これはたとえば、工作物を正確に測定してそれを図面に描きなおすという
場合にいうべき言葉であって、実態が不明なのに
精密な図面が描けるはずがない。
言葉のあやで素人をだまそうとしているのに過ぎない。
それにとどまらず、Sは、走る軌跡によっては、車の死角が消えうせるなどというば
かげたうそを振りまいているのである。
こんな単純なうそがわからないのであるから、猪瀬の幼稚なだまされ体質は
もう救いようがない。
猪瀬は「車の死角」とはなにかという初歩的な概念もわからずに、鑑定ノンフィクシ
ョンを書いているのであるから、笑い話にもならない。
偽証鑑定 左折事故の恐怖
一審の判決は禁固1年6月の実刑であった。
一審の実刑判決が2審ではS鑑定人の「名鑑定」
が採用され、判決は執行猶予付きとなり、実刑を免れた。
と猪瀬直樹は拍手喝さいしている。
このようなうそ八百がどうして法廷で通用したのか、
虫けらのように踏み潰された気の毒な母子3人のことを思い、
このようなデタラメを「名鑑定」と賞賛して得意になっている猪瀬直樹の
、無知と傲慢が許せない気持ちになる。
(中略)
気をつけてみてみるとおわかりになるはずであるが、事故現場の客観的な
証拠とは何の関係もない「想像」を「現場をよく見にいく」
というジェスチャーと「パフォーマンス実験」とで
虚飾してエセ鑑定にでっちあげるというのがS鑑定人の常套手段なのであるが、
猪瀬はこれにまんまとはまってしびれているのだから、他愛ない。
(中略)
おかしいのは、S鑑定が示す「自転車は終始、死角の外にいた」
ことを示していることである。
ここまでクドクド説明しなくても、ダンプカーが時速10キロの速度で走れば、その
死角も当然同じ時速10キロの速度で走る。
だから時速7キロで走る自転車が「一環してダンプの死角の中にはいりつづける」な
どということは数学的にありえないことなのである。
このようなこどもだましの単純なうそが、何で高裁で通用し、
信頼を受けたのか。歯ぎしりしたい気持ちである。
猪瀬直樹は高らかに自転車に乗る母子3人をひいた運転手の実質勝訴を
賞賛しているが、虫けらのようにダンプカーに踏み潰されて死んでしまった
母子の人権はいったいどういうことになるのか。
遺族の無念の気持ちはどういうことになるのか。
(中略)
常識で考えればありえないと簡単にわかることまでを、猪瀬は自分に都合のいいよう
に捻じ曲げて想像し、発表してしまう。
これが井戸端や場末の酒場で語られるほら話なら害はないが、
文芸春秋のおすみつきで、永久保存の出版物として日本中にばら撒かれるのであるか
ら始末が悪い。
自分勝手な倫理規定
猪瀬直樹という名前の、ものかきのモラルの感覚が
倒錯した、麻原しょうこう化現象を起こしている人物。
猪瀬直樹は大阪高裁で「Fを有罪」とした判決を「ほとんどブラックユーモアである」
と揶揄批判しているのである。彼の傍若無人の暴言はこれにとどまらない。特に許し
がたいのは、刑事裁判の後には当然に損害賠償請求の民事裁判が控えているのに、刑
事裁判の下級審がおわった段階で、Sのエセ鑑定により誤導された3件の左折事故の
裁判結果を、ノンフィクションの形にして広く
世間に売り出して喧伝していることである。
さもなくとも、刑事裁判の結果は、民事裁判の判断に大きく影響するのに、彼のよう
な有名人のお墨付きがついたノンフィクションは、民事裁判の裁判官の心証の形成に
大きく影響することになる。
猪瀬のうそばかりのノンフィクションは、「踏み殺された人たち」
の遺族の方々を再起不能の状態にたたきのめす結果になっているのである。
文芸春秋社とあろうものが、なぜに猪瀬のようなものかきのモラルの感覚が
倒錯した、いわば、麻原しょうこう化現象を起こしている人物を大事に扱うのか、私
には、およそ理解しかねることである。
それにこの事件をヒットエンドランという、殺された側の気持ちを考えたら
実に無神経な、まるで野球でも楽しんでいるような題名で発表している、エセ鑑定礼
賛ノンフィクションを書いている。